「自分が生きるために文学を友にしてきた」。
この大著は、若いときから心の糧としてきた古今東西45編の詩歌おを、自らの思い出とともに論じている。「お前は歌ふな/お前は赤のま々の花やとんぼの羽根を歌ふな」(中野重治「歌」)、「人間五十年、/下天の内をくらぶれば、/夢幻の如くなり。」)幸若太夫「敦盛」)、「危険の感覚を失わせてはならない/道は、かくもか細く、また険しい」(W・H・オーデン「見るまえに跳べ」)、「国破れて山河あり。/城春にして草木深し。」(杜甫「春望」).....。
驚くのは,著者の早熟さだ。16歳のときに八ヶ岳で三島由紀夫と知り合い、文学論を堂々と述べて、三島から「私が次に進む勇気を与えてくれました」といわれたという。
大学のときには小林秀雄と出会い、「知性は勇気の下僕にすぎない」という言葉やパーカーの万年筆を頂いた。「私の家に、父から譲り受けた戦前の名演奏家たちのSPレコードが山ほどあって、その縁で音楽好ききの小林さんを知ったのです」
佐賀の鍋島藩で代々家老職を務めた祖先をもつ。祖父は建築家のフランク・ロイド・ライトの親友で天皇の美術顧問だった。自身も異色の経営者だ。食品会社の社長だが、哲学、文学、美術、音楽の造詣を背景に豊かな感性と独自の美意識で「志の経営」を提唱してきた。
安田靫彦や白隠などのコレクターとしても知られる。
「戦後民主主義や物質主義のもとで、益荒男(ますらお)や手弱女(たおらめ)などの日本人の美風が滅びてしまった。武士道の精神や明治人の気概もすっかり失われた。
わたしが『万葉集』の大伴家持や会津八一、釈迢空などの歌に魅了されるのは、真の日本人の心に触れたい、偉大な死者と交流したいと思うからです」